ホタル

有り得ないくらいの現実逃避を繰り返しています。
酔っ払って、少年たちが置いて行ったであろうソフトボールを手に取り、少しふざけて硬い草むらの中に投げてみると少し反発した後に道路に転がり落ちるのです。

車の傍で無機物のように転がる鳥類の死体を見て、私の立っている半径2メートル間の地面が黒く濁り、やがて柔らかくなり、液状化するけど、私は無事でした。

便器の中で脳が揺れた。
意識のような電流がぷつりぷつりと途切れていくのを感じるのが心地よかった。

風を乗せた自転車はどこへ向かうのか。

はやく夏の草いきれを嗅ぎたい。
動く気配のない電線を眺めて、自分が生きている実感を得たい。

あの夏にバーで出会った中国人の女性は綺麗だった。
屈託のない笑顔と、豊満なカラダを包む絢爛な洋服は、その人を語るにはチグハグすぎて、どこを見ればわからなくて、まだ青かった私は頬を赤らめて自身の青痣まみれの膝を眺めることしかできなかったのです。
貴方も私も、どれだけ傷つけられて生きてきたのだろう?

秘密のない人間は決して魅力的ではない。
秘密のない人間はどうすればいいのか、
簡単である。
秘密のあるフリをすればいい。
そして、それに気づくのに10年もの年月がかかっていた。

さなか

ポストカードに救えない言葉を書く。ドアの向こうに声を注ぐ。誰に許される為に失った?誰に愛される為に諦めた?泣かないで下さい。
私はサルトルじゃない。


 自分が必要としてる人に必要とされないのはとても辛いでしょう?世界は誰かを中心に回ってる。それはわたしではなく、たぶん彼でもない。

 毎日、何かに取り付かれた様に目を開け続ける。昨日、酷く酔っ払ったオッサンが「俺は何処にいる」って叫んでた。現在地を把握する為の客観的な指標は、わたしにとってはそれで、君にとってはなんなんでしょう。憧れる事はもう随分前に見失いました。わたしは本当に価値のない汚い人間なんだよ。ただ少し物分かりが良かっだけ。

 欲しいモノはいつも手に入らないで、どうでもいいモノばっかり手元に残ってる。違う、違うよ、それは違う。残されたカードで何を求めればいいのか分からん。くだらない、と思いながらすがってる可哀想な人。あの人、目が見えないんだって言ってた。



 もう11月になって、寒いのが当たり前になってる。そういう当たり前の事を受け入れられる素直で優しい人間になりたい。

Regeneration/Landschaft

 その日、ぼくは旅に出た。
必要なものと、ギターをソフトケースに詰め込んで電車に乗った。

 ぼくの頭の中ではサイレンが鳴っていた。
だけど、それは決して騒々しいものではなく、限りなくやさしい手つきで弾いたギターの音だった。
その音を聴くとぼくはある風景を思い出す。それは事実では無い思い出。あるはずの無い思い出。

教室でぼくは机に教科書を立て、突っ伏して居眠りをしている。
左から五列目、後方より二列目、窓から射す光がちょうど伸ばした手の先まで届く場所。
静かな授業だった。誰も感情を持っていないかのように、ここでは時が止まっている。
枕代わりに組んだ両手へこすりつけるようにして窓に顔を向けると、きみがいた。
きみは人工物のように美しい姿勢で真剣に教科書を見やっていた。
完璧にコントロールされた両の目が、ぼくに人形を思い出させた。
仮にその視線の先の教科書が白紙でもその目は変わらないだろうと思った。
いや、そもそも、その視線がどこにおさまっているのかぼくには自信が持てなかった。

遠い場所を思う目にも、暗闇に投げ出す目にも、ぼくには思えた。

仮に目の前で親が死んでも、きみは表情を変えないんじゃないか。
この世に存在する悲しみなど、ぼくらが想像できる悲しみなど、きみには意味がないんじゃないか。なあ、どうなんだい、きみは今朝、どんなニュースを見て、何を食べて、どんな道を通ってここまで来たんだ……

 電車はぼくだけを運んでいく。それからきみがどうなったか、ぼくがどうなったか、覚えていない。
ぼくはどうしようもない悲観論者で
ぼくはどうしようもない生活破綻者だった。

だからいま旅に出て、帰ろうとしている。
決意は固かった。途中で何を見ようとも知ろうとも、ぼくは帰るのだ。ぼくは帰る。
電車はぼくだけを運んでいく。
サイレンが鳴っていた。やさしい音だった。

この感情に名前をつけてみようか


変わらぬ生活というものや、この場所以外で起きていることに思いを馳せたり、夢見がちな空想を膨らませながら暮らしております。

元気でいますか?
わたしは最近花を育て始めました。
花に詳しくないので名前は分かりませんが、種の袋には、花弁が小さく儚い桃色の花の写真が載っていました。
またひとつ、思いを馳せるものが出来たと思います。こうしている間にもいつかわたしの心を焼いた何かを忘れていくことに、ちくりとした感傷を覚えますが、それを繊細さとして胸の隙間へそっとこぼすにはわたしは歳を重ねすぎたのだと思います。
以前のわたしは、人のにおいのしない工業地帯の風景や塗装店の白いインクがはねた壁、小さく汚れたメリーゴーランドなどを見ると、そういった繊細さに結びつけてはぎゅっと口に力を入れ、なにものでもない言葉を頭のなかで思い浮かべたものでした。

そんなときわたしはおおきな塊となって、まるで動けなくなってしまうのです。その頃のわたしは、自らが動物であるとなによりも深く感じていました。
時間は常に人の機微を鈍らせていくのではないかしら。
時間は流れると表しますが、そっとすくいとってみれたら、どんなに気楽なことでしょう。

そうしたら時間と古き友のように、わずかな繋がりを保ったままで生きていけるのだから。


そういえば、かわいらしい人が増えたと感じるのも同じように歳を重ねたからかしら。
かわいらしい人は、浜辺の砂のように、喜びというものをその愛らしい足元からこぼしながらわたしとすれちがうのです。
ぷうんと、陽のにおいが感じられるのです。母と行った潮干狩りを思い出す、と言ったら土臭くなるかしら? いいえ、どんなに美しくなくても、わたしはそれを思い出すと同時に、その記憶が途方もない幸せの証明だと感じてならないのです。

やはり歳を重ねるごとに、そういった瞬間は増えているように思います。
わたしはきっとかわいらしい人に、戻るか、なるのか、わかりませんが、どちらも叶わぬのでしょう。人の呼吸に長く長く触れると、人は湿っていくものです。

わたしは、もう湿ってしまいました。こぼすべき砂も泥へ変わり、木を生かす陽の光も遮られ、穏やかな貝はわたしのうちに、もういません。
つい愚痴のようになってしまいましたね、ごめんなさい。
文字はわたしの血肉、わたしの呼吸なのです。

今日は書き続けても愚痴っぽくなってしまう気がするので、ここで筆を置こうと思います。次からは花の育つさまを書き添えます。枯れても、笑わないでくださいね。どうか元気で、いつでも笑みを。

夏、野風と薄荷

 のどの奥であぶくのように膨らんでいる、いまにも溢れ出そうな濃度の何者かがすべての粘膜を焼きながらせり出して来る。

消化のための体の働きがそれを助長し、コンクリートの固い地面に頬を擦り付けることを、今もなおよしとするように手招きしている。
商店街の趣を少しだけ残す寂れた道を歩きながらも、視界は一定に留まることを許されず、あさっての方向へと注意を促し続けていた。

際限なく余すところなく隙間なくひとつの毛穴を許すこともなく絶望している。
そして、それはその際限のなさゆえに、頼りない美しさを放っている。私は知っている、ひとつの美しさに捕らえられ、絶望というプラカードの立った独房に放り込まれる人たちのことを。
まるで頓知のごとき表裏一体を肌いっぱいに感じ、暗闇の中で辛うじてそれとわかるパンにかじりつく。
岩のようにゴワゴワしたそいつ。

いとしいそいつ。

肉親のようなそいつ。

鬨をあげる人々の声が鉄格子のはまった窓を、ちょうど夏にふる豪雨のようにたたきまくる。

十九歳の夏の大いなる一日は薄くうすうく引き延ばされ木綿のような質感で私をまるっきりくるんでしまう。

大いなる一日は大いなる信仰をまとって大いなる人生に寄り添う。私の中のすべての人がそうあるように。
教会にでも行ってみようと思った。
願わくば、商業主義で信仰を道具として扱い酒に溺れ女性に溺れありとあらゆる欲望に埋もれそれでも聖職者と呼ばれることをいとわない人のいる教会へ。

大使

 

なんの役にも立ってくれない感情が、私の救いになっているのは確かだ。

 

 

時間は夜中の3:49。雨は上がっていた。

遮光カーテンを開けて外の様子を見る。最後にベランダに出た頃よりも依然、深く黒い模様になっていた。

台風前ということもあり、空気が掴めそうなほどモンヤリとしていて、夏の感触がした。

 

外では救急車のサイレンが夏の夜の静けさを切り裂くように鳴り響いていた。

ミミズは夏に眠るんだよと教えてくれた父も、丁度今頃の季節に死んでいった。

 

激しい鼓動と荒い息が静まり返った夜の空気に馴染めず行き場を無くした。都会の空はいつも憂鬱が立ち込めていて、私が住んでいる街も例外ではなかった。

 

重くひたすら黒い不安が私を襲った。このまま、この黒い空が幕のように降りて、攫ってくれたらなと考えながら、タバコに火をつけた。